お墓参り

お墓参りとは?その意味の究極は「自分のあり方が良くなる事」

アシスタントちえ
アシスタントちえ
お墓参りとは、お墓にお参りしてご先祖様や故人様を偲び供養する行為のことですよね?
筆者・やま
筆者・やま
直接的な意味はその通りですが、実はもっと深い意味があるんです。

お墓参りとは、お墓にお参りしてご先祖様や故人様を偲び供養する行為のことです。しかし、一方ではお墓参りを通じて自分自身が多忙な日々の中で失われた「心の安らぎ」を取り戻し、「自分をリセットできる」という一面もあります。

そして、お墓参りでお花や線香をあげ、お供え物をしてご先祖様や故人様と向き合うことで、自分の生き方、あり方はこれでよいのかと振り返り、見直すこともできます。

つまりお墓参りは自分自身のためにもなる行為だということです。

この記事ではそんな「お墓参りとは?」の意味について、お墓に関する取材を続けている筆者がさらに深堀りをして解説します。

お墓参りとは?その意味がわからない人が増えた背景

昨今はお墓参りの意味がわからないという人が増えていますが、その背景として、「お墓参りの習慣がない人が増えた」という社会的な要因があります。

下記の図をご覧ください。

そして、同じ意識調査の中では、お墓参りに行かない人にその理由を聞いたところ「遠方にあって行く時間がない」「習慣がない」「面倒くさい」という回答の割合が高かったという結果が出ています。

そして、最も割合の多かったのは「特に理由はない」という回答です。このことは、お墓参りの意味を見出せない人が多いことを表していると言えます。

これらの統計から、筆者は「お墓参りの習慣がない人が増えたのは、お墓参りの意味がわからなくなっている」、もしくは「お墓にお参りしてご先祖様や故人様を偲び供養する」という以上の意味を見出していないからではないか」と推測しました。

もちろん、昨今は「墓じまい」も増えており、墓地もお墓も自ないという物理的な事情も「お墓参りの意味がわからない」「お墓参りの習慣がない」人が増えていることに影響している部分はあります。

しかし、それを差し引いても、お墓参りに「ご先祖様や故人様を偲び供養する」以外の意味を見出すことで、お墓参りを習慣にする人が増えることにつながるかもしれません。

そこで、ここからは「お墓参りとは?」その意味をさらに深堀りして解説していきます。

お墓参りで手を合わせるだけで、「追善(ついぜん)」と「回向(えこう)」の双方が一度にできる

“お墓参りの過程で、人は「追善」と「回向」の双方を行っている”

これは、寺院・仏像研究家の「みほとけ」さんが自身のYouTubeチャンネル「みほとけチャンネル(2024年2月現在 チャンネル登録者数1.47万人)」の動画「お墓参りの正しい順番と作法」で発信されている言葉です。

「追善」とは「死者の冥福を祈るために、遺された者が読経や斎会など諸々の善事を修すること」を指す仏教用語です。(参考:大谷大学「生活の中の仏教用語188 舎利」)

わかりやすく解説すると、亡くなって極楽浄土に暮らすご先祖様を、さらに快適に暮らしていただけるようにと「後から」供養することを言い、そのため「善を追いかける」と書いて「追善」と呼ばれています。

一方、「回向」とは「自己の修めた善行・功徳をめぐらし転じて自らの悟りや一切衆生の悟りのために趣き向けること」を指す仏教用語です。(参考:「Web版 新纂 浄土宗大辞典」)

こちらもわかりやすく解説すると、「人のためにやっていることは自分にも返ってくる」ということで、お墓参りをしてご先祖様に手を合わせることで積んだ「功徳(くどく)」がめぐり巡って自分のためになるという意味になります。

このことから、お墓参りとはご先祖様の供養になるだけでなく、自分自身のためにもなる行いだということが言えます。

ならば、現在はお墓参りの習慣がないという方の中にも「習慣にしてみよう」と思う方が増えるかもしれません。

お墓参りの時間は、多忙で自分の人生を顧みる時のない私たちが真面目に人生を顧みる「ご縁の時間」

仏教においては、お釈迦様が亡くなった後、仏弟子たちによってその遺骨(舎利)を納骨する「仏舎利塔」が建立され、崇拝の対象としてきました。

一方、浄土真宗親鸞会を経て仏教講師として活動されている菊谷隆太先生によると、墓に遺骨を納めて大切に扱うというのは日本では仏教伝来前から「古墳」によって行われてきました。そして、エジプトでもヨーロッパでも、民族を問わず古代から行われてきたことでもあります。

このように、古代から「遺骨信仰」が根付いていることから、ご先祖様の霊はお墓に棲み着いているわけではなく極楽浄土に行かれているのですが、その供養としてお墓参りを行うことが習慣となったと菊谷先生は述べられています。

また、菊谷先生はお墓参りの意味に関して以下のような見解も示されています。

「普段はお金、出世、日々の生活のことで忙しく、ろくに自分の人生を顧みない私たちが、いちばん人生を真面目に振り返るご縁となるのが葬儀や法事、亡くなった両親やご先祖様の墓に手を合わせる時である」
(出典: YouTube 仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太「お墓はいるのか、いらないのか。墓の意味とは。仏教の視点から解説。」)

普段は日常生活や仕事に忙しい私たちが一番人間らしい心になる時というのは、親を亡くしてその親の骨壺を胸に抱くときと言われます。

「親は働いて、働いて、いろいろつらい中でも働いて自分を育ててくれた。
そんな親を、最後に看病して看取った時には、痩せて、痩せて、枯れ木のように亡くなっていった。

すると、『苦労ばかり重ねた末に病気になって死んでいった父親の人生、母親の人生はいったい何だったんだろう』と、人生はなんぞやというのを深く考えさせられ、その回顧と同時に自分の姿も顧みることができる」

菊谷先生はこのように言われています。

自分も親と同じ道を歩んでいるが、いったい何のために生きているのか?
自分もいつかは死ぬが、死んだら一体どうなるのだろう?

こんなふうに自分の人生を真面目に振り返る時が、葬儀や法事、亡くなった両親やご先祖様の墓に手を合わせる時であるというのが菊谷先生の見解です。

お墓参りとは「自分のあり方を見つめ直し、そのあり方を良くする機会」

このように見てくると、お墓参りとは?その意味は「ご先祖様や故人様を偲び供養すること」であると同時に、その供養を通して忙しくて忘れていた自分自身を取り戻し、「自分のあり方を見つめ直す」という自分事でもあるということが言えます。

前回お墓参りをしてから今日お墓参りするまでの間、自分はどんなふうに過ごしてきたのか?どんな自分で生きてきたのか?そんなふうに、ご先祖様や故人様の前で素直に振り返り、自分のあり方を見つめ直す。

そんな機会を作ることができて、そのたびに自分のあり方が良くなっていくというのがお墓参りの意味の「究極」であり、現代におけるお墓参りの意義であると筆者は考えます。

まとめ

アシスタントちえ
アシスタントちえ
お墓参りとは?その意味は「ご先祖様や故人様を偲び供養すること」にとどまらないってことですよね。
筆者・やま
筆者・やま
そうですね。ご先祖様や故人様への供養を通して「自分のあり方を見つめ直し、自分のあり方が良くなっていく」というのも、お墓参りの意味としては大きいですよね。

昨今ではお墓の後継者がいないなどの理由で墓じまいをして永代供養とする家が増えておりますが、それでもご先祖様や故人様を供養する機会を持つことは、自分自身を振り返り、自分のあり方を見つめ直して自己成長する機会でもあります。

このような自分事にもなるということであれば、お墓参りが習慣となっていない人の中にも「たまにはお墓参りに行こうか」という気持ちになるかもしれません。

また、お子様がいらっしゃる方であれば、この記事のようなお墓参りの意味を伝えつつ家族みんなでお墓参りをすることで、お子様にも「お墓参りの意味」を伝承することができ、そしてお子様の自己成長にもつながる機会にもなるはずです。

この記事が、お墓参りの意味を改めて知りたい方の参考になれば幸いです。

ABOUT ME
著者 ライターやま
自宅近隣に大きな墓苑があることと自らもお墓参りを行うことからお墓の取材を続け、お墓とお墓参りにまつわる記事を執筆する専門ライター。専門家の見解も取り入れながら独自の視点で解説することをモットーとしている。